宮 城 聰 | |
ふたつの野外劇 ・・・「サロメ」〜日比谷公園・草地広場(2003年7月) |
この夏、ク・ナウカはふたつの野外公演を予定していました。日比谷公園での『サロメ』と、パレロワイヤル中庭での『メデイア』です。 100周年を迎えた「都民の憩いの場所」と、フランス革命の舞台ともなったパリ市民の「憩い」の場所。作品のコントラストも含めて、面白い連作になるだろうと思っていました。 ところが、パレロワイヤルの公演は、フランス全土にひろがる劇場スタッフの反政府ストライキにより中止になってしまいました。フランスのストライキといえば「ああ、またか」という印象があるかと思いますが、今回のそれは、相当に大きな「文化政策のターニングポイント」をめぐってのストライキのようです。 フランスに公演に行って一番驚くのが、俳優や劇場スタッフへの失業保険制度です。年間で507時間、芝居の仕事をすれば、そのほかの期間は失業保険で生活できるというフランス特有の制度。もちろん年間507時間「プロフェッショナルとして」働けるレベルに達することはそれなりのハードルだそうですが、逆に言えばひとかどの演劇人になれば、年間でかなりの時間を自分の栄養のために使えるという制度です。 で、この制度が政府の方針転換で危機に瀕している、というのが今回のストライキの理由なのです。僕らから見ればフランスの「芸術立国」を支えた「一番フランスらしい制度」をなぜシラク政権が骨抜きにしようとしているのか理解に苦しみますが、どうもそこには、最近のヨーロッパや日本に通奏低音のように流れているナショナリズムの空気があるように感じます。 自国の芸術を育てる制度をナショナリズムが排斥してゆくなんて矛盾しているようですが、ナショナリズムというのは根本的には「多様性の否定」であり、「“ふつうの市民である自分たち”とは違うもの、の排斥」だと僕は思うので、その空気が流れるとき芸術や芸術家の「特別扱い」がやり玉に上がってくるのではないでしょうか。 フランスでは、その民族の成り立ちの時点で、かなりの混血が起こっています。フランスが「芸術の国」として世界の尊敬を集めた背後には、多様性への尊重があったと思うのです。 そして実は日本も、民族の成立時点で大きな混血の起こった国だといわれています。地理的に「鎖国」のイメージがある日本は、しかしその精神性においては、「自分と異なるもの」への寛容をもっていたと僕は感じます。海外から入ってきたものを、日本ほどあっさりと取り入れてゆく国は珍しいのではないでしょうか。日本の豊かな芸術的遺産は、そうした混血と寛容のなかで花開いたのではないかというのが僕の考えです。 精神面で案外と「排外的でない」ためかえって制度の整備が遅れた面はあると思いますが、ともあれ今その寛容が「ナショナリズム」の空気のなかで縮んでしまっているとしたら、日本という場所の美質の大半が損なわれるように思えてなりません。 もし、多様性を認めることが芸術が育つゆりかごであるなら、また、優れた芸術には多様性への寛容を人々にうながす力があるとも言えるでしょう。 われわれの芝居が、いささかでもそうした力を持てますように――フランスからの知らせを聞いてその願いをなお一層いだきつつ、『サロメ』の稽古に励む7月でした。 その『サロメ』は、1991年に初演した、ク・ナウカ‘二人一役’の初めての成功作です。いや「成功」と自称するのは気が引けますが、‘二人一役’という思いつきにいささかでも普通の芝居と違う効能があると実感できたという意味です。つまり『サロメ』がなければ、90年に旗揚げしたク・ナウカはきっと2〜3年でその活動を終えていたと思うのです。 その後この初演版『サロメ』は92年の再演を経て93年夏に利賀フェスティバルと韓国公演(ク・ナウカ初の海外公演)に招聘され、また若手公演として中野真希演出で2回上演され、96年にはスペインとフランスで現地俳優との混交メンバーで上演、さらに今年の1月に阿部一徳と中堅俳優によって上演されました。また別バージョンとして95年の青山円形劇場『サロメ〜セ・グロテスク』があり、今回の新演出版があります。ク・ナウカは『サロメ』とともに生長してきたと言えるでしょう。 ではなぜあのとき『サロメ』を選んだのか? 一種の勘でした。ほとんど迷わなかった記憶があります。 もちろん美加理という俳優が生きる戯曲を、という前提はあったのですが、あとから考えると、ク・ナウカの前にはひとり芝居をやっていた僕にとって、時間の流れをサロメという一人のシテ(主役)に一元化できるこの戯曲は、当時の僕の演出能力でもなんとか対処できるものだったのでしょう。『サロメ』を選んだのは実に幸運でした。 上演を重ねるにつれ、サロメの時間の流れ以外のさまざまな縦糸横糸が見えてきました。ヨカナーンとナラボーがシンメトリーを成していることや、ヘロデとサロメがきわめて似た感覚を持っている(ただしそれへの反応がアクティブかパッシブかの差がある)こと、つまりヘロディアスを真ん中としてヘロデとサロメが点対称であることなどがわかってきました。 しかしこの作品のキモが、誰もが心の奥に抱えつつしかし自粛してしまう欲望を、サロメはやり抜いてしまった、という点にあることだけは、少しも動いていないのです。 【2003年7月】 |
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●『メデイア』について(メデイア 1999年10月) |
●マクベスという20世紀(マクベス 2001年5月) |
●死の反対は欲望!(欲望という名の電車 2002年10月) |
●Salome雑記(サロメ 2003年1月) |
●ふたつの野外劇(サロメ 2003年7月) |