宮 城 聰 
死の反対は欲望!
・・・「欲望という名の電車」〜ザ・スズナリ(2002年10月)
 今回、舞台音楽の録音のあとで、シュテファン・フッソングと話す時間がありました。現代曲のアコーディオン奏者としては当代一の名手です。
 彼は『欲望』の映画(エリア・カザン監督)がとても好きだそうで、それはブランチをヴィヴィアン・リーに演じさせたキャスティングによって、ブランチが『風とともに去りぬ』のスカーレット・オハラの「なれの果て」であることを感じさせるからだと語っていました。
 そのとき思い出したのは、1994年、ちょうど僕らが『トゥーランドット』のアメリカ公演のためにアトランタに滞在していたときのこと、マーガレット・ミッチェルの生家が火事で全焼した事件でした。僕はクルマでたまたま通りかかったのですが、前日まで瀟洒な姿で観光客を集めていたピンク色の建物が、崩落の寸前で、満身、無惨な焼け跡を晒していました。
 それは栄光の頂点から、次第に精神の崩壊へと墜落していったヴィヴィアン・リー本人に重なるイメージです。そしてそれが、通常、ブランチのイメージでもあるのだろうと、シュテファンの話を聞きながら僕は思いました。
 しかし僕らの『欲望』は、「滅びの美学」とは一線を画したいと、僕は初めから思っていました。なにしろ人類全体が明らかに滅びへの道を歩んでいるいま(にもかかわらず京都議定書よりも自国の利益を優先する超大国がいささかも反省の色を見せないいま)、わざわざ「滅びゆく者」のおはなしを語る必要を僕は感じないのです。「新しい生命」が圧倒的なチカラで勃興しているときになら、滅びゆく者の美しさはコントラストをなしますが、周囲全体が滅んでいく中では、僕らはむしろブランチに「生き残る力」を見いだしたいと思います。
 死の反対は欲望――
 ホテルフラミンゴで、客を待つ長い午後、ふと自分の「本当の欲望のありか」を考え始めたとき。そのときブランチの人生は、滅びとは反対の方向に、力強く転回するのではないでしょうか。
【2002年10月】
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