宮 城 聰 
野田秀樹のひかりごけ

 私にとって、野田秀樹を論じることほど難しい作業は他に無いように思われる。
 私が生まれて初めて見た現代演劇は、中学一年のときの文化祭で、当時同じ学校の高校一年だった野田秀樹によって演じられた別役実の『門』であった。もちろん「夢の遊眠社」の芝居も、全作品見ている。もしこの世に野田秀樹がいなかったら、私はいま芝居をやっていないだろう。
 こんな人間が野田秀樹論を書くなら、それは「私と演劇」というタイトルを与えられたごとく、数百枚の紙幅が必要となる。しかし私はまだ42歳だ。吉田拓郎にそんな曲があったと思うが「今はまだ人生を語らず」という気持ちである。
 だからここでは、私が中学三年の時、すなわち野田秀樹高校三年の、やはり文化祭での芝居についての思い出を記すにとどめたいと思う。あのとき、私たちの学校は、「天才が現れた」という興奮に包まれていたのだ。
 『贋作劇 ひかりごけ』というタイトルだった。
 言うまでもなく武田泰淳の『ひかりごけ』を下敷きにした作品だ。テーマは人肉食である。(このテーマは後に『つっぱれ おじょうず 二万七千光年の旅』に引き継がれた。)
 舞台は、原作を離れ、飢饉の農村の、少年たちの話に書き換えられていた。私たちの学校は男子校であったから、少年たちの話になるのは自然なこととも言える。『門』には「自由を愛する松葉杖の少女」という役があるが、それも「自由を愛する松葉杖の少年」に変わっていた。
 ちなみに、船が難破する、という原作の設定は、『贋作劇 ひかりごけ』より前の、野田秀樹処女戯曲かと思われる『アイと死を見つめて』にその影をとどめていた。ただし、この処女作と、翌年の『ひかりごけ』のあいだには、「富士の山は一晩で出来た」という比喩が当てはまるほどの奇跡的な飛躍がある。
 さて、右に「原作」と書いたが、武田泰淳から引用されているのは、飢餓状況での「ともぐい」へのサスペンス、「ひかりごけ」のイメージ、それに全く趣の異なる前後2幕で構成されていること、くらいである。武田版では「人の肉を食うこと」を人間の原罪に重ね、主人公は実際に人肉を食って生き延び、その罪の刻印として首の後ろに光の輪が生じる。終幕では主人公の食人の罪を責める周囲の人々すべてにこの輪が生じている。だが野田版では、隣村が飢饉で全滅したときたったひとり生き残った少女の背中に光る苔が生えていた、として、「ひかりごけ」を選ばれた者(選ばれてしまった者)の刻印と扱う――。
 主人公はたしか良太という名前だった。
 第一幕は、彼ら四人の少年たちが、コント55号ばりにふんだんに体を使うギャグと、機関銃のように繰り出すことば遊びでふざけつづける場面であった。見事なスピードでつぎつぎと遊びを思いついてゆく少年たち。終始観客の爆笑を誘ったことは言うまでもないが、今から思えばあのテンポ、あの舞台の速度感はまだ日本のどこにもなかったものだろう。
 どんなギャグが繰り出されていたのか?いまでも思い出せるのがひとつだけある。「おめえ水門事件もしらねえだか。水門事件ちゅうは、ウオーターゲートのことだべ。」うろ覚えだが、こんなセリフがあった。一九七三年はウオーターゲート事件でニクソン大統領が辞任した年なのである。
 少年たちの中で兄貴分の男が、確か「大将」と呼ばれていた。
 第二幕は、一転、ひとつのギャグもなく、かすかな照明の中で演じられた。飢饉で四人のうち二人が飢え死にし、大将と良太だけが生き残っている。二人は死体となって転がっている。大将も、舞台上手奧でずっとあぐらをかいていて、動かずに良太と言葉を交わす。良太だけが動く。野田秀樹の役である。
 良太は、大将が、ひとり生き延びるために自分を殺して食うのではないかという恐怖をいだいている。無論、良太との会話で大将はそれを否定している。わざわざ殺す必要はない、どうせどちらかが先に死ぬのだから・・・。良太も、自分と大将と、ふたりともが生き延びる可能性を信じようとする。
 しかし良太の脳裏からは、飢饉の村でたったひとり生き残ったとき背中に緑色に光る苔が生えていたという少女のことがぬぐい去れない。
 生き残るのは一人・・・おそらく意識下で良太はこの強迫を受け、希望を信じようする意識とは裏腹に、ついには大将を殺してしまう。
 たったひとりになった良太は、最後に、だれもいるはずのない客席側の虚空に向かって呼びかける。「ほら、俺の背中に、苔が生えてねえだか?緑色に光る苔が、よく見てくれ・・・」そうして良太は、ゆっくりと、自分の背中を客席に向けてゆく。自分では見えないそのひかりごけを、誰かが「見えるぞ」と言ってくれることを痛切に求めながら。
 よく見てくれ、と言いながら、首を右肩側に残しつつからだを左回りに回転させていった野田秀樹の姿が、ありふれた教室の、窓に黒いラシャ紙を貼って遮光しただけの劇場の、暗転の闇の中に消えてゆく瞬間を、私はいまもありありと思い出す。このエンディングが別役実の『象』からの引用であることに気づいたのはそれから約一年後、私が別役の初期戯曲集を読んでからなのだが、ここまで述べたことでもわかる通り、『象』の主人公と良太とには決定的な違いがある。
 マイノリティとしての自己の鬱屈を見据え、そこにむしろ自虐的に「居直り続けよう」とする行為を、客席側への挑発として見せつける『象』(や、同じく野田に影響を与えたつかこうへい劇)の主人公は、その行為に対する観客席側からのレスポンス(拒絶反応をも含めた)を前提にしている。
 しかし良太の場合、観客席側への呼びかけは、決して応答のないものとして発せられているのだ。「自分以外誰もいない場所」を、自ら選んでしまった以上――。
 『贋作劇 ひかりごけ』には、ひとつ忘れがたいモノローグがあった。第一幕のふざけあいの中で、少年たちが手のひらを広げ、親指から順に指を一本ずつ折って手を閉じてゆき、最後の小指を折ろうとするとき(そのとき手の形は指切りげんまんと似ているわけだが)、どうしても恐くてその小指が折れない、という遊びが何度か出てくる。なぜ小指を折るのが恐いのか、どんな呪いやまじないがあるのか、もちろん少年たちはみな理由を知っているようなのだが決して口には出さず、一幕のあいだはこの「謎」がギャグのネタにもなっている。ところがこの謎が、良太が大将を殺してしまったあと、すなわちラスト直前に彼の独白によって明らかにされる。どうしても小指を折れなかったのは、小指を折ってしまったとき、その握ったコブシの中に、何も入っていないことを知るのが恐いからだ・・・。
 痛々しく、そしてこの上なく鮮烈なセリフだった。
 3日間の文化祭の期間中、1日目2日目はたぶん2〜3ステージの上演だった。だが『ひかりごけ』の評判は全校生徒とその親たちにも広がり、3日目には5回くらい上演されていたように思う。そして「すごかった!」と噂するとき、私は友人達と、手の指を折ってゆくところが特に!と語り合った。
 もちろん中学生にすべてが理解できたわけではない。ただ「すごい」と思っただけだ。
 が、ここには野田秀樹のもっとも基本的な資質が見事に現れていると、いまなら断言できる。それは一言でいえば「世界からの疎外」=「孤独」ということだ。手のひらを握ってしまったとき、そのコブシが何も掴んでいないことが耐えられない。しかし、何かを掴むことは決して出来ないことが、あらかじめわかっているのだ。
 世界から切り離されていること。しかもその原因は自分の中にあること。この絶望の中で、耐え難い空虚の中で、なお空虚からの脱出を激しく求めて「世界」に向かって突進し、結果いっそうの孤独にたどり着くこと・・・。
 『贋作劇 ひかりごけ』の良太は、のちの『半神』の中でブラッドベリの『霧笛』から引用された、たった一匹生き残ってしまった恐竜へと、つながっていたのである。(了)
【初出】「ユリイカ」2001年6月臨時増刊号〈総特集=野田秀樹〉

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