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〜第9回ガーディアン・ガーデン演劇フェスティバル 特別公演〜
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ゴル博士の未亡人ルルは、画家ヴァルター・シュヴァルツと新婚生活を送っている。ヴァルターはルル一筋の熱愛ぶりだが、ルルは彼との結婚に満足していない。ヴァルターの成功はルルが手にした遺産と、この結婚を世話したシェーン博士による保護のおかげで保証されている。時々たずねてくるシゴルヒはルルの父親と称しているがその素性はあきらかではない。彼はルルから金銭の援助を受けて生活しているようだ。しかし、彼女のほんとうの恋人は、彼女の後見人・シェーン博士であった。だが、シェーンは貴族令嬢との婚約が整い、ルルに関係の清算を迫りに彼女をたずねてくる。激しく言い争っているところにヴァルターがあらわれ、彼はすべての真相を知ってしまうことになる。 ルルは願望通りシェーンの妻となるが、彼の留守中、彼女の周囲にはいかがわしい信奉者たちが出入りしている。その中にはレズビアンのゲシュビッツ伯爵令嬢もいる。そこにシェーンの息子アルヴァが入ってきて、ルルに熱を上げているあいだに、シェーンが予定より早く帰ってきた。 |
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人は、他人とある感情を共有できたとき、とても幸せな気持ちになり、人生は楽しいななんて思ったりします。 しかし、勘違いして過度にそれを求め、自分を他人に押しつけ始めたり、考えすぎて他人のことが理解できない、という当たり前のことでなげいたりして、なんで生きているのかわからなくなっちゃったりします。 この『ルル』の登場人物はその手の勘ちがい野郎ばかりです。さらにこの作品ではムーバー(動く俳優)とが雌雄逆になっています。 つまりルルの言葉は女性の声で、男性の肉体を通して語られ、ルルを取り巻く男達はその逆になっています。 これは、『ルル』はルルの魅了を描いているのではなく、人間の勘違いぶりを描いているということを明白にするためです。 しかしいちばん勘違いしているのは私自身かもしれません。 中野真希(なかの・まさき) (公演チラシより) |
■『ルル』に寄せて |
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『ルル』は「ク・ナウカの中野真希演出作品」として、今後も再演を重ねていけるような「代表作」になってほしいと願うところのものです。僕自身も前々からヴェーデキントの『ルル二部作』に興味をもっていましたが、ことこの台本に関しては僕よりも中野真希のほうがその資質にあっているように感じるのです。 ・ルイーズ・ブルックスがルルを演じた無声映画『パンドラの箱』を劇中に挿入し、活弁を登場させること。 『饒舌なるサイレントムービー』はこうした路線の上で、中野演出特有の緻密な人間関係の詰めがほどこされた舞台になりました。そして根本的に「近代劇」そのものであるこの戯曲の持ち味を生かすには、中野的な「関係への執着」こそもっとも大事な演出作業であることを確認したのでした。 今日ご覧になる『ルル』は、昨秋の習作とは似ても似つかないものになっていることでしょう。配役もすっかり新しくなり、一層若い俳優が大役をつとめています。ヴァンテの舞台に出現するのはまさしく「中野真希の世界」です。ただその後ろに、一度白墨で書かれやがて消された黒板の文字のように、上記のような「読み直し」が踏まえられていることを知っていただくと、舞台の楽しみがもうひとつ増えるのではないかと思います。 ルルは演劇史上初めて「わたしはわたし、わたしの肉体はわたしの肉体、わたしの肉体はわたしのものであって他の誰のものでもない」という自意識を持った女性です。ことが「肉体」の把握の仕方に及んでいるだけノラより遥かにたちの悪いアインデンティティに捕らわれています。 |