〜第9回ガーディアン・ガーデン演劇フェスティバル 特別公演〜

 

 

1999年6月11日(金)〜6月13日(日)〈全5回公演〉
会場:フジタ ヴァンテ・ヴァンテホール

原作:フランク・ヴェーデキント
構成・演出:中野真希・宮城聰

公演チラシを見る
 
  (スピーカー/ムーバー)

ルル
シュヴァルツ
ヘンリエッテ(女中)
シゴルヒ
シェーン
アルヴァ
ロドリーゴ
フーゲンベルク
ゲシュヴィッツ
クング・ポティ(客)
ヒルティ(客)
ジャック

口上         

榊原有美/稲川光
徳永崇/萩原ほたか
福本浩司/木下貴道
福本浩司/中村優子
吉植荘一郎/吉田桂子
本多麻紀/寺内亜矢子
萩原ほたか/原田玖美子
本多麻紀/木下貴道
中野真希/大高浩一
徳永崇/萩原ほたか
木下貴道/原田玖美子
吉植荘一郎/吉田桂子

中野真希

 

 

演出協力
照明
空間
衣裳
音響
小道具
舞台監督
舞台スタッフ
宣伝美術
制作

美加理
大迫浩二
木津潤平
渡邉昌子
千田友美恵(AZTEC)
会田夏実
野口毅
斉藤葉子
ふみこ特製
久我晴子

 

 

 ゴル博士の未亡人ルルは、画家ヴァルター・シュヴァルツと新婚生活を送っている。ヴァルターはルル一筋の熱愛ぶりだが、ルルは彼との結婚に満足していない。ヴァルターの成功はルルが手にした遺産と、この結婚を世話したシェーン博士による保護のおかげで保証されている。時々たずねてくるシゴルヒはルルの父親と称しているがその素性はあきらかではない。彼はルルから金銭の援助を受けて生活しているようだ。しかし、彼女のほんとうの恋人は、彼女の後見人・シェーン博士であった。だが、シェーンは貴族令嬢との婚約が整い、ルルに関係の清算を迫りに彼女をたずねてくる。激しく言い争っているところにヴァルターがあらわれ、彼はすべての真相を知ってしまうことになる。

 ルルは願望通りシェーンの妻となるが、彼の留守中、彼女の周囲にはいかがわしい信奉者たちが出入りしている。その中にはレズビアンのゲシュビッツ伯爵令嬢もいる。そこにシェーンの息子アルヴァが入ってきて、ルルに熱を上げているあいだに、シェーンが予定より早く帰ってきた。
 シェーンはルルに自殺を迫るが、窮地のルルは彼を射殺してしまう・・・

 

人は、他人とある感情を共有できたとき、とても幸せな気持ちになり、人生は楽しいななんて思ったりします。 しかし、勘違いして過度にそれを求め、自分を他人に押しつけ始めたり、考えすぎて他人のことが理解できない、という当たり前のことでなげいたりして、なんで生きているのかわからなくなっちゃったりします。 この『ルル』の登場人物はその手の勘ちがい野郎ばかりです。さらにこの作品ではムーバー(動く俳優)とが雌雄逆になっています。 つまりルルの言葉は女性の声で、男性の肉体を通して語られ、ルルを取り巻く男達はその逆になっています。 これは、『ルル』はルルの魅了を描いているのではなく、人間の勘違いぶりを描いているということを明白にするためです。 しかしいちばん勘違いしているのは私自身かもしれません。 中野真希(なかの・まさき) (公演チラシより)

 

■『ルル』に寄せて
宮 城 聰  

 

 『ルル』は「ク・ナウカの中野真希演出作品」として、今後も再演を重ねていけるような「代表作」になってほしいと願うところのものです。僕自身も前々からヴェーデキントの『ルル二部作』に興味をもっていましたが、ことこの台本に関しては僕よりも中野真希のほうがその資質にあっているように感じるのです。
 それを確信したのは、今回の公演の習作というべき上演、昨年秋テルプシコールでの『饒舌なるサイレントムービー〜ルル』においてでした。そのときはまず僕が大づかみな方針をいくつか決め、その上で実地の演出作業を中野真希に任せました。
 その折僕が中野真希に課した「決めごと」は以下のようなものでした。

・ルイーズ・ブルックスがルルを演じた無声映画『パンドラの箱』を劇中に挿入し、活弁を登場させること。
・音楽は生パーカッションを使わずにアルバン・ベルクの『ルル』を用い、台詞はそれに合わせて語ること。(なお、最後の場面 ではオペラ版ではなく、声楽の入らない「七つの断章」のほうを用いること。)
・ムーバー(動く俳優)に関しては特に、象徴主義的ではなく表現主義的なアプローチを試みること。
・ルルが遍歴する3人の男:シェーン、カスティピアーニ、切り裂きジャック、を一人の男優が演じること。それによってこの『ルル』が実は『雨月物語』中の「蛇性の淫」の裏返しであり、「自分を変えたい、自分を壊したい」ひとりの男(=男というもの)が生き変わり死に変わりしてルルに接近し、ついにルルの生気を吸い取って変身を遂げる、という文脈を持つことを明らかにすること。

 『饒舌なるサイレントムービー』はこうした路線の上で、中野演出特有の緻密な人間関係の詰めがほどこされた舞台になりました。そして根本的に「近代劇」そのものであるこの戯曲の持ち味を生かすには、中野的な「関係への執着」こそもっとも大事な演出作業であることを確認したのでした。  今日ご覧になる『ルル』は、昨秋の習作とは似ても似つかないものになっていることでしょう。配役もすっかり新しくなり、一層若い俳優が大役をつとめています。ヴァンテの舞台に出現するのはまさしく「中野真希の世界」です。ただその後ろに、一度白墨で書かれやがて消された黒板の文字のように、上記のような「読み直し」が踏まえられていることを知っていただくと、舞台の楽しみがもうひとつ増えるのではないかと思います。

 ルルは演劇史上初めて「わたしはわたし、わたしの肉体はわたしの肉体、わたしの肉体はわたしのものであって他の誰のものでもない」という自意識を持った女性です。ことが「肉体」の把握の仕方に及んでいるだけノラより遥かにたちの悪いアインデンティティに捕らわれています。
 ここから20世紀は始まったわけです。